あけましておめでとうございます
みなさま、あけましておめでとうございます。
2106年がやってきました。
昨年は私事にてお休みを頂きどうなることかと思いましたが、たくさんの方々に、
「もんぺやの再開を心待ちにしていましたよ。」
と温かいお声をかけて頂き本当に嬉しかったです。
さて、私は子供の頃から朝ドラが好きな子どもで、最近は「あさが来た」にもっぱら夢中で毎日楽しみに見ています。
「あさが来た」は江戸の終わりから明治のお話で、激動の時代を…もにゃもにゃもにゃ…というドラマなのですが、その時代の移り変わりの中で無くなる職業、新しく興る職業、ありとあらゆるものがどんどんと変化していき、それについていける人、いけない人と時代を生きる人の反応も様々です。
そのドラマを毎日見ながら、
あぁ、これは明治のお話だけど今にもつながる話なのか。と思いながら見ています。
今、わが家で3日に一度は話題にのぼるのが、近い将来無くなっていくであろう職業の話です。
わが家の大黒柱は製造業を営んでおり、いずれロボットにとって代わられる。と言われています。
そのことを踏まえてこれからどうしてゆくのがよいのか。と日々ああでもない、こうでもない。と話し、私も何かよい突破口はないものか…と探ってみたりはしているのですが、今日あさが来たと真田丸の予告を見ながら、
「あぁ、いつだって先のことは誰にもわからないし、激動じゃない時代なんてないんじゃないかなあ。」と、ふと思いました。
時代の移り変わりと共になくなる仕事があるのは今に始まったことではないし、変わっていくことを嘆いたり、憂いたりしていてもしょうがないんだなあ。と思ったのです。
私が乗り越えられようが乗り越えられまいが、時代にはそんなこと関係ないのだなあ。と思ったらなんだか逆に乗り超えられそうな気がしてきました。
というか、今が特別なのではなくて、きっといつでも激動なのだと思いました。
私が子どもの頃に、夢のように特集されていた未来に今、きっといます。
ミレニアムも、もう20年近く前になり、ここは21世紀です。
ドラえもんは遠い遠い22世紀から来た。と思っていたけれど、去年生まれたわが子は22世紀に生きてるのかもしれないのだなあ、私は確実に死んでるけど。
遠いと思っていた22世紀も息子からすればいずれ当たり前の日々なっていきます。
そう考えるとなんだか私まで22世紀に続くような気がしてきます。
さて、そんな22世紀に続く2016年です。
今年はもんぺでどこまで行けるでしょうか。
みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。